更新日時:
リトルブリッジの店主はサラリーマンから青果店の社長へ。理想的な働き方を目指して
午前4時。まだ街が寝静まるなか、商店街の一角にある青果店『リトルブリッジ』の倉庫では、野菜の仕分けが行われていた。忙しなく手を動かしながらも、従業員たちの会話は弾んでいる。楽しげに、それも時折冗談を交えて。
リトルブリッジを立ち上げたきっかけ
笑顔が絶えないスタッフの方々
『リトルブリッジ』代表の望月 伸享さんが理想とする職場とは「働く人が人間関係で悩まない環境」。笑い声が絶えないこの職場こそ、望月さんが追い求めてきたものなのだ。
『リトルブリッジ』代表の望月さん
望月さんが、『リトルブリッジ』を立ち上げたのは今から8年前。当時勤めていた人材派遣会社の上司Aさんと『何か一緒に面白いことをやりたいね』と話したことがキッカケだった。
「自分の祖父母が農家だったこと、そして上司が大学で流通について学んでいたこともあり、野菜を仕入れて販売する青果店をすることにしました。未経験のまま起業するのも怖いので、副業として土日限定で、農家から野菜を仕入れて路上販売を始めたんです」
望月さんはまず、近隣の農家を周り、野菜を販売してくれる先を探したという。当初は苦労するかと思われた仕入れ先探しだったが、新しいことに挑戦する若者に農家の人は優しく、すんなりと快諾してくれたそうだ。
「路上販売を行う場所は、知人が経営する整骨院の店先に決まりました。場所と日時が決まってからは、チラシ配りやSNSを使って毎日のように宣伝していましたね」
「全然お客さんが来なかったらどうしようと不安でしたが、当日は思った以上の方々に来ていただいて大盛況でした。自分たちで仕入れた野菜を嬉しそうに買っていく様子を見て、今まで感じたことのない達成感を抱いたのを今でも覚えています」
望月さんの人生を変えたきっかけ
望月さんの人生を変える転機が訪れたのは、最初の路上販売を終えた数日後のことだった。
「勤めていた会社で、あまりに理不尽なことがあったんです。もう続けていられないなと感じ、予定よりも早く会社を辞めて青果店として起業すると上司に伝えました。彼は役職もあったので、『一緒にはできないけど応援するよ』と言ってくれたんです」
この年、望月さん、上司のAさん共に子どもが生まれたばかりだった。
「今まで以上にお金が必要となる時期ですから。我ながらよく辞めたなと思いますね」と望月さんは、笑みを浮かべる。
退職後、望月さんは定期的に路上販売を開催し、生活費を稼いでいたという。
「最初の頃は本当に先のことを考えずに突っ走っていました。一日でどのくらい売れるのかもわからなかったので、ついつい仕入れすぎてしまうんです。そうしたら当然のように売れ残りが出てしまって。急遽、会場を押さえて翌日も開催するみたいな。そうしたらね、またお客さんがいっぱい買ってくれるもんだから、次も仕入れすぎちゃう。それが今日まで続いている感じです」
倉庫奥にある事務所には玩具店だった名残りがある
現在は廃業した玩具店を居抜きでレンタルし、在庫管理や仕分け作業のための倉庫として活用。対面販売から卸売中心に切り替えた。埼玉県幸手市を中心に飲食店や小中学校、介護施設などに野菜を卸す。配達スタッフは5名で毎日フル稼働。売上も好調だという。
リトルブリッジを成功させた秘訣
未経験から参入し、10年足らずで事業を軌道に乗せた秘訣は何なのだろうか。
「それは『新鮮な野菜や果物しか取り扱わない』という僕たちの強みが活きているからだと思っています。ー般的な青果店は毎日、市場に行くものの、決まった取引先から野菜を仕入れてくる。しかし僕たちはそうせず、そのときの鮮度の良さを見て柔軟に仕入れ先を変えているんです」
仕入れ担当のスタッフたちが、それぞれ異なる市場へ出向き、野菜の鮮度を確認。「こっちのにんじん鮮度抜群だよ」「キャベツの鮮度、こっちが良さそうだな」というように、リアルタイムで連携を取りながら、その日最も鮮度の高い野菜を買い付けていく。
「野菜は生ものなので、農家さんの場所や日によって鮮度が異なるのは当然。その日一番良いと感じた市場から仕入れることで、常に新鮮な野菜を取り扱うように心がけています」
そのかいもあって「あそこの野菜はいつも新鮮だよ」と口コミが広がり、営業活動をせずとも、取引先は自然に増えていったという。
リトルブリッジは卸先からも従業員からも喜びの声
卸先からの評判も高い『リトルブリッジ』だが、実は従業員からも働きやすいと高い評価を得ている。
配送スタッフのFさんは入社して半年。前職では上司との人間関係に悩み、体調を崩して退職したという。
「社長は些細な事も気にかけてくれるので、嫌な思いをすることはありません。スタッフのみんなも、楽しく働こうという想いが強いので忙しくてもギクシャクすることはないですね」(Fさん)
望月さんもこう言う。
「自分がサラリーマン時代に『嫌だな』と感じたところは徹底的に排除していくつもりです。うちで働いてくれているスタッフにも、できるだけストレスは感じでほしくないですから」
そんな望月さんがこだわっているのが、月に一度の面談、いわゆる1on1ミーティングだ。現在の仕事量や待遇面、仕事の進め方を改善するために行われ、そこで現場の声を吸い上げ、不満があれば即時改善していくという。
リトルブリッジの社訓に込められた思い
望月さんが会社作りにおいて、最も大切にしているのが仕事とプライベートの両立だ。望月さんの前職は残業も多く、家族との時間も取りづらかったそうで、「自分の会社では、スタッフに私生活を犠牲にしてほしくなかったんですよね」。
そのため『リトルブリッジ』では、よほどのトラブルがない限りは残業することはないという。
「『リトルブリッジ』の就業時間は午前3時から午後0時まで。朝、市場へ向かって野菜の仕入れを行い、倉庫へ戻って仕分け作業をします。そして卸先へ配達に行き、終わり次第直帰。日によってはお昼前に終わる場合もあります。
朝の早い生活に慣れてしまえば、自分や家族との時間も充分に確保できるので、社訓の『Work hard, play hard.(一生懸命働いて一生懸命遊ぶ)』も実現可能なんです」
望月さんは仕事が終わると帰宅して、一時間弱の仮眠をする。その後は趣味のランニングや子どもと遊び、家族そろって食事をするという。
「もちろん僕だけ『Work hard, play hard.』を実践しているわけじゃありません。スタッフにこそ、自分の時間を大切にしてほしいと考えていますから」
配送スタッフのFさんは、退勤後、自宅で趣味のオンラインゲームや犬の散歩、子どもと映画観賞をすることが多いそうだ。
「子どもの成長は早いので、できるだけ近くで見届けたいんですよ。前職は接客業だったので土日も仕事詰めで、家族と過ごす時間はほとんどありませんでした。『リトルブリッジ』に入社してからは、公私のバランスがとれて妻も喜んでいます」とFさんは笑顔で言う。
その様子を遠目から嬉しそうに眺める、望月さんの横顔が印象的だった。
正社員のなかで最も若いKさん(写真左)と望月さん
一昔前までは、「家庭を犠牲にしてまでも仕事に打ち込む」ことを美徳のように語る向きもあったが、今は違う。働き方も多様化し、「仕事とプライベートどちらも大切」と声を上げやすくなった。
もしアナタが自身や家族との時間を諦めているのなら、職場を変えてみるのも一つの手かもしれない。自分に合った働きやすい環境は、きっとどこかにあるはず。望月さんのように自分自身で働きやすい環境を作るのもよいだろう。
もちろん、それには今以上の苦労や努力が必要となるはずだ。しかし、それを乗り越えた先には、今は想像できないような、新しい生き方が待っているかもしれない。