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京都先端科学大学で経済経営学部経営学科教授を勤める安達房子さんのキャリア「人前で話すのが苦手だった」
人前で話すのが苦手だったという安達房子さん。「苦手なあまり教育実習から逃げてしまった過去があります」と笑いながら話す彼女は、現在、京都先端科学大学(旧:京都学園大学)で教鞭を執る経済経営学部の教授を務めています。
今回は、自分の苦手と向き合い、克服することで夢を掴んだ安達さんのキャリアについて伺いました。
安達教授の大学院進学後のキャリア
安達教授は、立命館の大学院で学んだ後、非正規の教員としてキャリアをスタート。
「大学院で学んだ後は、正規雇用の講師として働くために就職活動を行っていました。しかしなかなか決まらず、4年間は非常勤講師として複数の大学で経営の授業を担当。その後、現在の大学に常勤として就職して現在に至ります」
教員として正規雇用されるのは簡単なことではないといいます。
「なかには、すぐに就職できる方もいますが、数年間探し続ける方も少なくありません。もともと教員募集は少なく、そのなかでも自分の専門分野かどうかも重要です。自分の研究してきた分野でなければ、学生に教えられませんから」
高い専門性を求められるがゆえに、さらに間口が狭くなるという教員の世界。限られた募集の中から、さらに自分の専門分野のものを探すのには、かなり苦労をしたそうです。
「どうしてもタイミングもありますから。こればかりは根気よく探し続けるしかありません」
大学教員を志したきっかけ
現在は無事に教員として活躍する安達さんですが、ここまで来るのには数々の壁を乗り越えてきました。
「最初は、中学校や高校の先生になりたかったんです。というのも、私が学生のときに出会った女性の先生が本当にかっこよくて。クラスの揉めごとやいじめを上手に解決するんですよ」
「メリハリもあって生徒を叱っているときは怖いのですが、普段は本当に優しい。私は、その凛とした姿を見て、学校の先生に憧れるようになりました」
高校を卒業する頃には、学校の先生になるという意思が固まり大学に進学。単位も無事に取得し、教員免許も目前というところで、最初の壁にぶつかりました。
「当時の私は、人前で話すのが本当に苦手だったんです。中高生の教師になるためには、教育実習に行く必要があるのですが、どうしても怖くて。必要なことだとは分かっていたのですが、直前になって逃げてしまったんです」
教育実習にいかなければ教員試験は受けられない。教員への道は閉ざされたかのように思えました。
「でも、そのあと、『どうして教員実習にいかなかったんだろう』と後悔しました。やっぱり教員になりたい。その想いが日に日に強くなっていったんです」
教育実習に対する恐怖と教員になりたいという憧れに挟まれながら、安達さんはひとつの答えにたどり着きます。今すぐは無理でも、人前で話すことを克服しようと決意したのです。
「まずは、大学教員を目指してみよう、そう思いました」
そして現在、大勢の前で授業を行っている安達さん。自分の苦手を克服し、夢をかなえた彼女は、今日も京都先端科学大学で学生に経営学を教えています。
現在も教員としてのキャリアを歩む安達さんですが、一度だけキャリアチェンジに挑戦したことがあります。
「私が大学院で学んだ後、4年間の非常勤勤務をしていた頃のことです。父が病に伏せてしまい、非常勤講師の収入だけでは生計を立てられなくなってしまったんです」
当時28歳だった安達さん。家族との生活を守るために、民間企業への転職を検討しはじめたそうです。
「いくつか採用試験も受けてみたのですが、なかなか上手くいきませんでした。自己PRが圧倒的に下手だったんです。あとはどこかで教員に対する想いも諦めきれずにいた。内定をもらったこともあったのですが、結局断ってしまいました」
転職活動を続ける中で、逆に教員として生きていくことへの決意が固まった安達さん。諦めずに自分の苦手なことと、夢に向き合い続けたことで今に至ります。
最後にやりがいを感じる瞬間について伺うと、
「学生の成長を感じる瞬間ですね。入学したばかりの一年生の頃と、就職活動を終えた四年生では、別人のように成長していることもあります。最近は、卒業生が 『結婚しました』『子どもが生まれました』と写真を送ってくれることもあります。嬉しいを通り越して感慨深いですよね」
そう笑顔で語ってくれました。
一度は諦めかけた夢。しかし、諦めずに自分の苦手と向き合い続けた結果、なりたかった職業に就くことができた安達さん。改めて、諦めないことの大切さを知った取材となりました。