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新卒フリーランスからグラレコでご飯を食べられる会社代表へ。両親の離婚や難病を乗り越えた、グラフィックレコーダー松田海さんのキャリア
新卒フリーランスからグラレコでご飯を食べられる会社代表へ。両親の離婚や難病を乗り越えた、グラフィックレコーダー松田海さんのキャリア
働き方の多様化が進む昨今、注目を集めている新卒フリーランス。専門学校や大学卒業、就職せずにフリーランスとして活躍する新しいカタチの働き方です。グラフィックレコーダーである松田海さんもその1人。5年間の新卒フリーランスを経て、2022年6月1日に株式会社グラフィックレコーディングを設立しました。
今回は、株式会社グラフィックレコーディングの代表取締役を務める松田海さんに、これまでのキャリアや今後の目標について話を聞きました。
子どもながらに、手に職をつけて稼げるようになりたい思っていた
「グラフィックレコーディング(以下、グラレコ)とは、人々の対話をイラストと文字を使ってリアルタイムで可視化するファシリテーション技法のひとつです。会議やプレゼンテーション内容、商品・サービスの魅力をビジュアルで表現しています」(松田さん、以下同)
沖縄国際大学産業情報学部を卒業後、フリーランスのグラフィックレコーダーとしてキャリアをスタートさせた松田さん。
「大学では経営学を専攻し、経営やマーケティングについて幅広く学びました。仲間と共に行なっていた教育系学生ベンチャー企業では、会議の進行を2年間担当。参加者の意見を整理しながらディスカッションを円滑に進めていくのが、ファシリテーションの役割です。学生ベンチャーでの経験が、会議や打ち合わせなどあらゆるビジネスシーンで役立っています」
2017年、プロジェクトメンバーが行うファシリテーション講座に参加。受講後は運営側にまわりグラレコを取り入れ実践します。そして、講座運営を通じてグラレコと出会います。
「受験生が振り返りがしやすいようにと、グラレコで振り返りをしていました。これが参加者から好評で、“わかりやすい!”、“覚えやすい”と言っていただけることが多かったんです。当時はグラレコを仕事にしようとは考えていませんでしたが、自分に向いているかも・・・という淡い期待はありましたね」
グラレコの奥深さと魅力にのめり込み、上場企業の内定を蹴ってフリーランスの道を選んだ松田さん。
「大学在学中から、約5年間フリーランスとして活動しました。当時はグラレコの認知度がまだまだ低く、お絵描きの延長だと捉える方も多かったと思います。だからこそ、グラレコを描いている姿を実際に見てもらうのが一番の営業になりました。そこからご依頼いただいたり、紹介してくださったりと仕事につながっていきましたね」
フリーランス1年目は売上5,000円という月があったものの、4年目を迎える頃には売上1,500万円を達成。そして、2022年6月1日に法人化し株式会社グラフィックレコーディングを設立しました。
「正直、グラレコで生計を立てていけるか不安でした。でも、実際にやってみると不安を感じる暇もないほど怒涛の毎日であっという間でしたね」
現在は、仕事と子育てに奮闘する松田さんですが、ここまで来るにはさまざまな苦難がありました。
「小学6年生の頃に両親が離婚し、母は女手一つで兄弟3人を育ててくれました。裕福な暮らしではありませんでしたが、やりたいことにチャレンジさせてくれた母には感謝の気持ちでいっぱいです」
沖縄県の相対的貧困率は29.9%となっており、母子世帯の割合は全国でもっとも多いと言われています。(出典:子供の貧困に関する指標(沖縄県の状況))
「同級生のなかには社会的養護を必要とする人もいて、高校卒業後は進学せず就職する生徒がほとんどでしたね。私も中学卒業後は、簿記や情報処理検定などビジネスに役立つ資格を幅広く学べる商業高校に入学しました。子ども3人を育てるために働く母親の姿を見て、手に職をつけて一刻も早く稼げるようになりたいと思ったんです」
そんな矢先、難病全身性エリテマトーデス(SLE)を発症し、3ヶ月の入院を余儀なくされてしまいました。
「入院中、これから難病とうまく付き合っていくにはどうすれば良いのか自分なりに考えました。色々調べてわかったのは、難病を持つ人への就職サポートが整っていないこと。支援サービスがないなら自分で作ればいいと思い、難病者の就職支援を行うNPO法人を立ち上げようと考えました」
難病者のサポートに必要なNPOマーケティングや経営学、業界知識を学ぶため、大学進学を決意。
「退院後は、バイト三昧の毎日でしたね。沖縄料理店やお菓子づくりの工場、ラーメン屋など複数のバイトを掛け持ちして貯めたお金を、大学入学費に充てました。自分で学費を払えたことが本当に嬉しかったです。何より、自分のことを自分で決められたという成功体験になっています」
最後、松田さんに今後の目標について聞いてみました。
「1人でも多くの方にグラレコの可視化を知ってもらえたらなと思います。フリーランスから会社を作って思うのは、仲間が居てくれることの心強さ。同じ目標に向かって一緒に走ってくれる仲間の存在が、仕事を頑張る原動力になっています。そしていつか、故郷の沖縄に戻って子育てしながら地元に貢献できたら嬉しいですね」